下津井について

下津井について

瀬戸大橋

潮待ちの港が
下津井の原点です。

古くから港町として繁栄した下津井は、遠い昔は島でした。干拓により陸続きとりましたが、土地は塩分を含んだ砂地だったので、栽培できる作物には限りがありました。そんな不毛の地でも水分と肥料(ニシン粕)があれば栽培できる綿花栽培が盛んとなり、北前船が運んで来るニシン粕は、瀬戸内海最大の干拓地の下津井港において高値で取引され、潮待ちをする北前船や内海航路の船などの寄港地として大いに賑わいました。

 

下津井祇園神社からの絶景。


海に突き出た海抜22mの浄山(じょうやま)の上に祀られている祇園神社は下津井の氏神「祇園さん」と呼ばれ、下津井港が栄えた江戸時代後半頃に長浜宮と祇園宮を合祀した神社です。海上安全・疫病除けなどに霊験があると信仰され、玉垣には海の守護神に航海の安全を祈願した北前船の船主や遊女らの名も混じります。祇園神社の境内からは、瀬戸大橋と瀬戸内海、下津井の街並みが一望できます。

 

下津井の町並み


江戸から明治の中頃、北前船が寄港し讃岐金比羅参りの旅人で賑わった港町の風情が今も色濃く残る下津井の町並み。海の守り神として崇められてきた祇園神社から吹上漁港にかけての旧街道沿いは、昭和61年に岡山県の町並み保存地区に指定され、今でも当時の商家やニシン倉などが残っています。本瓦葺で漆喰壁やなまこ壁の建物は、窓には虫籠窓や格子窓を備えており、歴史的な景観をとどめています。

 

むかし下津井回船問屋


江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた荻野家の分家の西荻野家の住宅を明治初期に回船問屋高松屋(中西家)が取得し、商家の母屋やニシン蔵として使われていた建物をできるだけ当時に近いかたちで復元した資料館です。
休憩所や食事処などがある多目的な施設で、資料館には江戸から昭和の初めにかけて地元で使われていた品の数々を展示しています。

 

風の道 下津井駅跡


かつては下津井電鉄の中心の駅であった下津井駅。車両基地、運転基地、工場などがあり、広い構内を有していました。乗客の減少により1991年に廃線となりましたが、現在旧津井駅にはホームの他に当時の電車も保存されていています。また、下津井電鉄線の跡地を利用して旧児島駅から旧下津井駅までの区間は「風の道」として自転車道が整備され児島の町や瀬戸内海の景色を楽しみながらサイクリングを満喫できます。

 

 

下津井のお好み焼き

   さっぱりとした辛口ソース

【お好み焼き 脇】電話番号086-479-9336
私の小さい頃お好み焼き屋さんは、通りの裏側や路地にたくさんあって、たこや貝柱が入っているのが、普通でした。上物には、牛肉、豚肉が使われ、みんなが口にできるものではありませんでした。しかし、地元のタコや貝柱の入ったお好み焼きは、だれでもお小遣いで食べれていました。ソースのからまった海鮮焼きのにおい、路地や小路に漂っていました。たくさんあったのお好み焼き屋さんも今は、ここ一軒になりました。しかし、今でもこうして配達してくれ当時の海の幸が入ったお好み焼きの味を今も守り続けています。ただ、昔は、庶民の味方だった海鮮お好み焼きは、今では大関・横綱まで番付表が上がってしまいました。(しかし、ここでは、今もリーズナブルな価格で食べられます)