3-雁木(1)

雁木イメージ
雁木とは港に作った石造りの階段状の構造物です。

船が着くと、その時どきの潮のにあう最適な段に足場板を渡して、荷物の上げ下ろしをしていました。板の揺れにリズムをとりながらの作業となります。

この雁木、潮に浸かりがちな下の段は貝や海藻が張り付き足場が悪く、子どもながらドキドキしたものです。

雁木を転げ落ちるものを追いかけた友達が、勢い余って海にボッチャンなんていうこともありました。

沖から帰り足場板にバランスをとりながら雁木に降り立った時、揺れない地面に何ともいえず安心感を覚える、

海辺に育った子どもは誰でもが覚えている瞬間です。

 

昔、といっても私の小さい頃まで(やはり昔か)、せとうちの船着き場にはどこもこの雁木がありました。 特に下津井の水際には、いたるところで長大な雁木が設けられ、港町を象徴する風景となっていました。

今はコンクリートの岸壁と浮桟橋が主流。

時の流れには抗えません。

下津井からも雁木はほとんど姿を消しました。昔ながらの風景を懐かしむ人は数多くおられます。

2. 北前船寄港地 十里港下津井

画像イメージ北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて、大阪と北海道の間を往復した商船です。下関を回って瀬戸内海と日本海を航行していました。

最初は東北や北陸の米を大阪へ運ぶため開発された沿岸航路ですが、次第に取り扱い商品は沿岸各地の特産物に広がり、寄港する港を含む航路全体が活発な商業ベルトとなって、江戸時代の経済を大きく発展させました。

下津井はそんな北前船の寄港地でした。

港には大きな十里港とその途中の五里港があり、下津井は広島県の鞆、兵庫県の室津などと同じ十里港でした。日本各地に北前船寄港地がありますが、下津井は主要な港の一つと言えるかもしれません。

潮待ち・風待ちの港から始まり、新農地開発が進む岡山平野への肥料の荷下ろし地として商業上の重要性も増していったようです。

(北前船はこれから何度もこのページに登場します)

参照元
環境省HP「せとうちネット」
第六管区海上保安本部HP「海の豆知識」
角田直一著「私の備讃瀬戸」
倉敷の自然を守る会編 「児島風土記」
北前船日本遺産推進協議会作成サイト「北前船寄港地・船主集落」

1. 瀬戸内の分水嶺

瀬戸大橋下津井はどこにあるのでしょう。岡山県の海岸線のほぼ中央、緩やかにカーブして海に突き出た下津井半島の西側にあります。

下津井のある瀬戸内海は「備讃瀬戸」(びさんせと)と呼ばれます。むかしの備前・備中の2つの国と讃岐国の間にある瀬戸内海という意味です。実はこの備讃瀬戸、ある意味では広大な瀬戸内海の中心になるのです。

今から約2万年前の氷河時代、海水面はいまから約130m低く、瀬戸内海には広くは陸地でした。瀬戸内の海底は東西のはしに向けに緩やかに傾斜する斜面だったのですが、その東西分かれ目となる分水嶺は現在の備讃瀬戸西部にありました。

このため、今でも満潮の時、豊後水道と紀伊水道からの上げ潮が出会うのは備讃瀬戸になるようです。

下津井はそんな備讃瀬戸でも古来最も賑わった港のひとつで、わたしは「備讃瀬戸の海の首都」と勝手に思い込んでます。