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12. 明治終わりの地図から(2)

この児島郡、かなり栄えていた地域でした。

岡山県立図書館蔵の「児島郡誌」には、明治44年時点で人口は当時の岡山県下の郡で第二位、戸数は一位と書かれてあります。

この児島郡で町は3つあり、そのうちの一つが下津井町でした。今では漁港のイメージが強いですが、当時は郡内を代表する先進地域であったようです。(少し分かり難いですが下津井町のアップもご覧くださ。)

あとの1つは、郡役場や紡績工場のあった味野町で、もう一つは同じく北前船の寄港地だった日比町です。人口は他の2町より下津井が圧倒的に多かったようです。

海運が瀬戸内海沿岸の経済を引っ張っていたことがよくわかります。

 

11. 明治終わりの地図から(1)

もうすぐ平成が終わります。

写真は明治の終わり頃、明治44年の下津井を含む旧児島郡の地図と伝えられております。

当時の児島郡は、現在の倉敷市、玉野市、岡山市にまたがり、その昔瀬戸内海上に実在したという本物の島「児島」に重なります。「児島」は江戸時代初め頃の1618年、現在の倉敷、岡山と陸続きになったとされ、今年は陸続き400周年でした。(右下の岡山県全体図も見てください。)

明治末の地図なので、ここには下津井を通る瀬戸大橋(児島-坂出ルート)はもちろん、水島工業地帯、児島湾の大干拓地はまだありません。その代わり海岸地域には塩田とおぼしき白く描かれた広い土地がいくつかあります。瀬戸内海を渡る宇高連絡フェリー航路と国鉄宇野線は明治43年に開業したばかりでした。

下津井はそんな児島の南端の、かぎ型に海に突き出た場所にあります。海上交通の拠点となったであろうことは想像できます。

北前船が盛んだった頃の下津井周辺の海岸線はこんな形でした。