6. 水島合戦

源平合戦水島古戦場の碑下津井の西となり、臨海工業地帯で有名な水島も源平の争乱の舞台となりました。

源平合戦というと、敗走を続ける平氏、追撃する源氏とのイメージですが、ここで大敗したのは源氏。

1183年5月倶利伽羅峠の戦いで大勝した源(木曽)義仲は京都に入り、平氏主力は一族の血を引く安徳天皇を連れ九州まで逃れます(都落ち)。

これを追撃しようとした源氏が、現在の水島(正確には現在の玉島沖)で、平家と戦ったのが海戦が水島合戦です。両軍合わせ何百隻もの軍船がぶつかり、数、装備とも優れた平氏が勝利。源義清をはじめとする指揮官ら多数が討ち取られました。

源氏方は船を繋ぎ板を渡して水上の陣地のように使ったといいますが、身軽な装備で水上船に慣れた平氏側が水上の白兵戦を制したようです。

源義仲は都の治安維持にも失敗、のちに上洛した源義経に討たれます。この源氏の内紛の隙に平氏は勢いを盛り返し、兵庫県の福原(一ノ谷)まで勢いを回復しましたが、そこで義仲に代わって最前線に出てきた天才武将義経と激突、屋島~壇之浦へと滅亡の道をたどることとなります。

写真:岡山観光Web(公益社団法人 岡山県観光連盟)より